殺人なんて、あるわけないじゃないですか。前編
10,155字
「殺人、か……」
静まり返った会議室で、ぽつりと。しかし重々しく、至って真剣な表情で、先輩はそう呟いた。
そう、年に一度のビッグイベントである文化祭。その一日目の朝を迎えたこの高校では、想像される晴れやかで爽やかな空気とは正反対の、身の毛がよだつような恐ろしい殺人事件、が。
「ちょっと先輩、死人出てませんし、そういうこと平気で言うのやめてください」
起こっていなかった。
正確には、殺人事件は、だけれども。
「いや、悪い悪い。癖でつい雰囲気を出そうと、な。あとオレのことは会長と」
「何の雰囲気を出そうっていうんですか。とりあえず静かに座っていてください本当に」
「はいはい。でも、いつまで待ち惚けなんだろうなオレら。始まっちまうぞ」
クーラーを全開に効かせた会議室Cに放置されて早一時間。わたしたちは、他四人の教師とずっと沈黙を保っていた。ついさっき先輩が破ったけれど……。
確かに校内開催時刻が迫ってきている、このままではこの室内で開始を迎えてしまいそうだ。
窓は閉め切られ、カーテンもしっかりひかれているため外の様子を伺うことはできないものの、ざわざわとした喧騒は耳に飛び込んでくるし、その熱気も肌で感じられる。表には出さずとも、焦燥感は着実に募ってゆく。
準備が終わり次第身に付けることになっていたトランシーバーもまだないため、他の生徒会メンバーと連絡が取れない。彼らはわたしたちがいないことに気が付いているだろうか。仕事は滞りなく進められているだろうか。何もできずにいる、というのは相当に歯がゆい。
いけないいけない、考えれば考えるほど焦ってしまう。こういう時は別の事を思い出そう。
昨日の夜に見たテレビ番組を反芻してみる。ニュース、バラエティ、健康番組。最近は夏風邪が流行っているらしいこと、アウトドアでBBQを行うことが人気になってきていること、アルコールは薬効を強めてしまうから処方箋を出されている人は控えなければならないということ。他にも、色々あったはずだ。
「つか、なんでオレたち閉じ込められてるんすかね。なんか事情知ってます?」
一度言葉を発することで緊張の糸が緩んだのか元々なのか、しばらくこそこそと教師陣から見えないようにスマートフォンを弄っていた先輩が、近くに座っていた教師に声を掛ける。怖いものなしかこの人は。
「いや、俺も詳しいことは知らないなあ」
「そっすかぁ。やっぱ箝口令的なアレなんすかね。直接的すぎっすけど」
「そこまで大層なものじゃないとは思うけどねえ。どこまで知らせるか、とか、代役の配置どうするか、とか話し合ってるんじゃないかな」
不安そうな顔をしてしきりに窓の外をちらちら確認していた若手の物理教師は、困ったように返してくれた。やはり自分のクラスが気になるのだろう。
十時開場に対し、現在時刻は九時四十五分。今から解放されたとしても、もう時間はほとんどない。
「大丈夫っすか、だいぶ眠そうに見えますけど」
「昨日の会議がかなり長引いてね……動いてればまだましなんだけどこうしてじっとしてると、どうもね」
「そっすよねぇ、何も無いと暇で暇でしゃあねえっすわ」
先輩と先生は、そろって欠伸をかみ殺す。仲良しですか。
生徒会ですら帰宅は午後八時前後だったのだ、教員はきっともっと遅くまで色々話し合っていたのだろう。眠くなるのも無理はない。
何故、こんなぎりぎりになるまで軟禁まがいのことをされているのか。
それには、不透明な事情があった。
「大体は救急車が来たことも知ってるし、事情説明は早めにしといた方がいいとは思うんすけどね」
「まあ、それはそうだろうけど、色々あるんだよ、多分」
一時間と少し前。運営本部が設置されている会議室Aにて。突如、入室してきた一人の教師が昏倒した。目撃者はここにいる六人と、今現在会議をしているであろううちの二人、計八人。
意識がないことが確認されたため、後に病院へと搬送されていったその教師はしかし、先ほど先輩が言った通り、生活指導主任としてよく知られていたので、既に事の顛末は広く知られていると思う。
でも文化祭自体は開催されるわけだし、正直なところ、ここで留められる理由が見当たらない。
「ん、やっとか」
先輩がふと顔を上げると、会議室Cの扉が開いた。
「……なあ、なんであそこまで時間がかかったと思う?」
心躍るいたずらを思いついた子供のような明るい表情の先輩は、生徒会室に戻る道すがら、そう問うてきた。
この人は、今さら何を言い出すのだろう。まあ、少し長すぎでは、とは思ったけれど、それだけ。解散を指示した教頭先生も、詳しいことは何も教えてくれなかった。
「単純に議論が長引いたからだと思いますけど」
「何の?」
「え?」
先輩が不意に立ち止まり、つられてわたしも思わず足を止めた。職員棟から教室棟につながる渡り廊下は私たち二人しかおらず、静まり返っている。
時間もないので早く行かなければならない、でもこの好奇心に心を奪われてしまった先輩は、多分梃子でも動かない。
「一体、何についての議論をしてたんだろうな?」
「それは、知らせるかどうかとか、代役をどうするかとかいったことじゃ、ないんですか」
「残念ながらそれはない」
先輩の声が反響する。喧噪は遥か遠く、他の音は削れて落ちてゆく。
「まず知らせるかどうかだが、目撃されている以上、さっき言ったように拡散はもう抑えられねえし、それは問題にならない」
むしろ必要なのは出回っている情報の修正であり、かつその真偽などどうでもいい。大半の人間にとって、生活指導主任の体調の良し悪しなどは、興味の対象にならないからだ。
それこそ、それが「殺人事件」でもない限り。文化祭に影響がないのは明らか。
「次に代役。そんなもんは決まってる、ってか、あいつの仕事は既にほぼ終わってた。代役なんていらねえんだ」
「そう、なんですか?」
「そそ。部活の事前指導と各食品出店クラスの安全確認。どっちも終わって後は受付かなんかに詰めるだけだったはず。それも若手に大体やらせるつもりだったろうからな」
文化祭中の業務内容にあんまり重要なものはないとすると、その議論も不必要。
あと他に、何か話し合っておかなければならないことがあるだろうか。
一時間余りもの長時間にわたって、考えなければならないような、そんなことは。
いや。
「仮にそうだったとしてもしなくても、それは先輩の妄想の域を出ないでしょう。ほらもう行きましょうよ」
論点はそこではないし、詳しい事情を知らないわたしたちが想像できることにも限界がある。どんな話をしていたかどうかなんて、わかるわけがないのだ。
控えめな手振りで語る先輩に帰路を促し、自ら歩き出す。これ以上遅延行為をされてはたまらない。他の役員たちも、生徒会室で待っている。
「ま、そらそうなんだが。でもさ、あんなに長くて中身が不明な会議、不自然だとは思わないか? あとオレのことは会長と呼べ」
「誰だって多少はそう思うでしょうが、そこまでは」
「どうしても引っかかるんだよ。そこにも、あいつがぶっ倒れたところにしても」
目的地に近付くにつれ、先輩の興奮は収まっていくように感じる。でも、声の熱は高まっていく。
なんだろう、そこはかとなく、面倒くさいことになりそうな気が、する。
「何が先輩をそうまでさせるんです?」
生徒会室の間近。先輩は一瞬だけきょとんとしたかと思うと、急に真面目な顔を見せる。
「そりゃ勘だよ勘。ただの勘だ。あとオレのことは会長とだな」
「勘、ですか……」
「オレの勘が、これは殺人事件だって言ってんだ」
高校生たちの青春の祭典が、始まった。
学校全体が、さっきまでとは打って変わってとても賑やかである。
来場者第一号が入場してきた途端に、勧誘合戦の幕が切って落とされる。物理的に客を引くのは禁止だが、どれだけ近くでアピールしても良いことにはなっている。無論度が過ぎていれば駄目だけれど。
右を向けばメイド服に身を包んだ男子、左を向けば巫女服を着た男子、振り向けばバニーコスの男子。
「……なんでコスプレしているのがみんな男子なんですか……?」
「そっちの方が笑えるだろ」
先輩は苦笑しつつそう返す。
まあ、そうかもしれない。実際ちょっと着てみたくはあるけど、それで不特定多数の前に出るのは勘弁だし、笑いをとるならそっちの方が適任かも。
出入り口付近は、会場直後は混みに込み合っていたものの、三十分もすれば人の流れもスムーズになり、警備の増員もお役御免となる。
自前のスマートフォンに目を落としていた先輩は、僅かに口角を釣り上げた。
「んじゃ、行こうぜ」
「はい」
他の生徒会メンバーと別れ、二人組で各組仕事に赴く。
この高校の生徒会執行部は計八人四組。仕事は午前午後で交換制で、委員会の活動チェック、校内見回り、受付手伝い、体育館警備、の四つで、わたしたちは午前に見回り、午後に委員会。
見回りといってもやることは少ない。あってせいぜいが落し物預かりとか道案内くらいだ。
なので多少とはいえ、暇にはなる、のだけれど。
「よーし、犯人探しだ。行くぞ書記ちゃん」
この人は呑気にも、今朝の事件――と言い張っていること――の調査をしようと言って聞かない。
どこぞへ駆けていこうとする先輩を、役員Tシャツの裾を掴んで止める。
「なに言ってるんですか、仕事があるんですよ、行くわけないでしょう」
「書記ちゃんこそなに言ってんだ、これは見回りの立派な仕事だぞ。オレたちに可能な範囲での治安維持に問題の解決。生徒会の、ひいては学校自体の仕事とも言える」
「詭弁です。わたしからすれば、それは『起こっていない事件』です」
「オレからしてみればこれは確かに『起こっている事件』だ。その主張を繰り返すなら進展はないぞ」
階段の途中で立ち止まり、正面から対峙する。先輩は引く気を微塵も見せない。なんなんだもう。
焼きそばやホットケーキが焼ける音、甘いものやカレーの臭いが、そこらを満たしてゆく。楽しげな声が溢れる。文化祭はもう、始まっているのだ。
始まっている、のに。
「別に見回りはちゃんとするさ。その道中でオレが自発的に聞き込みやらをやるだけだって」
「そんなこと、わたしたちがしなくても」
「いいと思ったか? でも残念ながら、オレたちがやらなきゃ犯人は出て来ないぞ」
「見つからない、ではなく?」
ここでは目立つ、とでも言うように、先輩は特別棟の方へ、わたしを引いたまま歩いていく。周囲の目もあるし、仕方ないから手は放した。
図書室や音楽室、文化部の部室などがある特別棟は、教室棟よりは閑静で、まだ人通りは少ない。
「そもそも、あんなに長引くのは犯人がわかってないか、わかっていて責任問題がどうとかでごたごたやってるか、そのどちらかだとオレは推察する」
「前者はともかく、後者の場合はわたしたちが動く必要がないのでは」
「ところがそうもいかない。もしこれが事故ではなく事件で、かつ職員の犯行だとすれば。それはしっかり学校の不祥事だ。そうなりゃ当然」
「揉み消したくなる……?」
「そう」
随分と論理というものをかっ飛ばした豪快な推理だ。しかも先輩はそれを自信満々に披露するので手に負えない。
普通に事故だったら。もし事件だとしても、生徒の犯行だったら。それらの可能性を潰すための情報が何もない以上、先輩のそれは机上の空論にしかならない。まるで穴だらけだ。
「ここで無かったことにされちゃあ困るだろ。そのうち第二、第三の被害者が出る確率はゼロじゃない。そんでそれを止められるのはオレたちだけってわけ」
例え、ここでわたしたちが全て忘れ、無かったことになったとしても。犯人がいなくなるわけではない、と言いたいのだろう。
けれど。
それもこれも、総じて想像上の話でしかない。そう切り捨てたかった、のに。
「……余計なことを、しないので、あれば」
「よし! じゃあ行こうか!」
故に。この人を止められる理由がない。
先輩がやろうとしているのは飽くまで最悪の場合を想定した対処であって。それが決して、してはいけない、という類のことではなく、かつ仕事は普通にこなすとなると。それ以上追及の言葉が出てこなくなってしまう。
わたしは、甘い、のだろうか。軽快な足取りで階段を上ってゆく背を追いながら、ぼんやりと立ち上る後悔の念に苛まれる。
ミステリ小説等の事件解決の流れは、大きく分けて二つほどあると思う。
一つは、進行形で起こっている事件に関わっていくもの。巻き込まれる場合もこれに属する。
もう一つは、既に起こった事件に、後から関わっていくもの。極端な例だと安楽椅子探偵が挙げられるだろう。
今回は後者。危険な目に遭ったりすることは十中八九ないものの、まず手がかりを得る能力が必要になってくるため、創作世界の中の生徒会ではありがちな、特に強い権力、を持っているわけでもないわたしたちには少々難易度が高い。
「それで先輩、何かアテはあるんですか?」
特別棟三階の廊下を意気揚々と歩く先輩に、如何にも探偵か刑事の助手っぽく訊いてみる。
犯人を捜すなんて簡単に言うけれど、動機や凶器に犯行時刻、犯行方法に果ては犯行現場に至るまでほぼ全ての情報がない現状からでは、そもそも犯人に辿り着けるかどうかといったら……どうだろうか。
余程のモノがなければ、非常に難しい、以外の評価は見当たらないのでは。
「いや、特にないけど……まあ、手当たり次第だな! あとオレのことは名探偵と呼べ!」
「迷える探偵様、不安になってきたんですが」
壮大な時間の無駄遣いの予感。
そも、わたし自信その生活指導主任については詳しく知らない。基本的なところ以外は精々が噂や印象、評判レベルのものばかりだ。
曰く、生徒に、特に文化部全般界隈からとても嫌われているとか。
曰く、それはその先生が独自の信条として、運動部至上主義を掲げているからだとか。
曰く、その所為で一部の教師陣と著しく仲が悪いとか。これは動機に繋がりそうではありそうだ。
曰く、大の酒好きだとか。流布させた本人が早く痛風になればいいのにと言っていたあたり嫌われようがよくわかってしまう。
担当教科は世界史。三年生を中心に授業をしているはずなので、一年生のわたしが目撃する場としては朝会くらいしかない。
今日の担当業務は、各部活動の事前指導と各食品出店クラスの安全確認。あとは受付、らしい。受け持ちのクラスが無い教師ではかなり軽い方だ、それも同じ生活指導に属する他の人たちに大半を押し付けている、とも。先輩の情報なのでいまいち信憑性に欠けるけれど。
彼と共に業務に当たっていた教師は主に、先程会議室で一緒だった物理教師と、家庭科部顧問の生物教師、だったか。
つらつらと色々思い出しながら、特別棟を歩いていく。
聞き込みといっても、ただ無秩序に、手当たり次第にするわけではない。生活指導主任のスケジュールから考えて、まずは事前指導を受けたであろう部活動へ話を伺いに赴くつもりだ。
音楽室の近くまで来ると、吹奏楽部の演奏が耳に届いてくる。午後からの公演の練習をしているのだろう。
うちの吹奏楽部はそこそこの規模で、顧問の音楽の教師がこれまた熱心な人で、なかなかの成績を残してもいる。熱血の男性教師で、かなり真面目な事でも有名だ。居れば捜査には協力はしてくれそうではある、けれど。
まだ音が響いている音楽室の扉を、先輩は何の躊躇いも無く、一気に開け放した。
「失礼しまーす」
闖入者に、室内の皆の動きが止まる。わたしも凍りつく。
数十対の瞳が一斉にこちらに向き、視線が本当に突き刺さっているような錯覚に陥る。
「何の用ですか?」
縁なし眼鏡を掛けている、理知的で鋭そうな人が進み出てくる。恐らく、部長さん。顧問は見当たらない。
明らかに苛立っている様子の彼女に対し、先輩は態度も表情も、一切を変えない。やられた側からすれば相当に迷惑なうえに神経を逆なですること間違いなしだ。
「見回りです。あと、ちょっと訊きたいことがことがありまして。お時間よろしいですか?」
「……みんな、少し休憩。さっき言われたところよく確認しておいて!」
とても嫌な顔を隠さない部長さんは部員にそう告げると、ため息をつきつつ、先輩を押し戻すように廊下に出てくる。
「見ての通り、あまりよろしくありませんので、手短にお願いします」
「もちろんですとも。尋ねたいことは三つほどあります」
「どうぞ」
「まず一つ目、生活指導主任の所在が不明なんですけど、なにか知ってますか?」
既に不機嫌な表情をしていた部長さんは、さらにほんの少し、不快そうに顔を歪めた。
生活指導主任さんは、その役職の性か本人の性格か、生徒からの評判が良くない。十分にオブラートに包んだうえでその評価なので、直接の意見が罵詈雑言に塗れることは想像に難くない。
各部活の活動に対してもなかなか厳しいという話をよく聞くので、この吹奏楽部も多少なりとも思うところがあるのだろう。
「いえ、知りません」
「では二つ目、その生活指導主任さんが事前検査かなにかでここに来たと思うんですが、それは何時ごろでしたか?」
「七時半を回らないくらいだったと思います」
「最後、三つ目。その時の生活指導主任の様子はどんな感じでした?」
「それは、どういう?」
淡々と答える部長さんと、これまた淡泊に質問していく先輩。普段もこんな感じでいてくれればいいのに。
「具合が悪そうだったり、機嫌が悪そうだったり……はいつもか。とにかくそういうのです」
「そうですね、少し咳き込んでいました。風邪にでも罹っていたように思えます。薬も飲んでいましたので」
「飲むところを目撃したんですか?」
「ええ、まあ。チェックの後にそこの水道で」
廊下の端の手洗い場を指差した部長さんは、これで話は終わりだとばかりに扉に手を掛ける。
特に見回りとして口を出すところなんてないし、先輩も自ら宣言した三つの質問をし尽くした。もう用はないはずだ、というかこれ以上迷惑をかけるのは申し訳ない。
「そういえば、顧問の先生が見当たりませんが。どうかされたんでしょうかね」
「知りませんよ。もういいですか」
「はい。ありがとうございました」
すっと頭を下げる先輩に慌てて倣う。相手から見れば、わたしも同罪のようなものだ。納得はいかないが。
眼鏡を指で押し上げ、小さく頭を下げ返してくれた部長さんが扉の向こうに消えると、先輩はすぐに踵を返し、歩き出す。
「特に目ぼしい情報はなかったな。次行くか」
せっかく協力してくれた部長さんには悪い気がしたけれど、聞き込みなんて総じてそういうものだ。推理小説なんかとはわけが違う、一発で有力な情報など得られないのが普通。
数をこなし、幾つもの証言を精査し、仮説を立てて、やっと推理を構築できる。そういうものだと思う。でもそれは非常に面倒くさくて地味でつまらないのが通例。刑事モノでもそこら辺はよくすっとばされていることからも、なんとなく察せる。
「次はどこへ?」
「そうだな。次はチア部にでも行くか」
しかし。わたしたちにはあんまり時間はない。
二日経てば文化祭は終わってしまうし、被害者への関心も、関係者の記憶も薄れて消えていく。犯人を見つけ辛くなるうえに、特定したとしても問題視されなくなる危険すらあった。
不服だけれどもやる以上は、なるべく早い解決が望まれる。
さっきまでは特別棟も閑散としていたのだが、もうちらほらと一般客の足音や話し声が長い廊下に響いている。この様子だともう教室棟は人でいっぱいだろう。
今度は階段を下りて、もうすぐ出番のはずのチアリーディング部の臨時控室となっている被服室へ向かう。吹奏楽部と人数を競い合う大所帯なので、体育館下の通常の更衣室には入りきらないために、毎年そういう措置が取られている。
「どもっす」
「ああ、駄目だよ今入っちゃ。着替え中だからね。社会的に死んじゃうよ」
被服室の前には、家庭科部顧問の生物の教師が立っていて、躊躇なく扉に近付いていく先輩に警告してくれる。
けれど。
「大丈夫っすよ、オレもそこまで馬鹿じゃないっす」
「えぇ……捕まるようなことはやめてね……」
そう言って先輩は平然と歩いていってしまう。もし何かあった場合、共犯にはなりたくないのでわたしは家庭科部顧問の横で立ち止まった。
流石にこのタイミングでは中に男性の顧問がいることはないだろう、また生徒と一体一だ。ここの顧問は熱血の化学教師で、かなり真面目な事、と、何故かはあまり知られていないものの、吹奏楽部の顧問と仲が悪いことで有名。できればそちらと対話してほしかったけれど。
「なんでここで番をしてるんですか?」
「家庭科の先生が風邪で休みでね。文化祭中は家庭科系の部屋の鍵の管理がぼくに一任されちゃったんだ」
少し離れたところで家庭科部顧問と傍観していると、なにやら話し声が漏れてくる被服室の前に立った先輩は。
しかし普通にノックした。
『はーい』
「あ、いまお時間大丈夫ですか?」
『えーっと、ちょーっと待っててくださーい』
吹奏楽部とは違ってチア部は、気軽に開けてもし着替え中、とかだった場合に社会的な死もあり得る。などと考えたのかもしれない。
でも常識的に考えて着替え中なら鍵を掛けるはずだし、出番が近いのでもう済んでいるだろうし無駄なリスクマネージメントですね。あとその判断が出来るならさっきも今と同じことをしてもらいたかった。
「はいはーいお待たせしました! 私が部長ですが要件はなんでございましょう!」
「突然すみませんね。三つほど訊きたいことがありまして」
「もうすぐ演技なんで巻きでお願いしますねー」
にこやかなチア部部長さんの頬が引きつる。やはりタイミングの悪い来客は誰でも嫌だろう。当然だけど。
それでも明らかに敵意を剥き出しにしていた吹奏楽部部長よりは友好的、と考えるべきなのだろうか。どちらにせよ先輩が悪いのだが。
「今朝、生活指導主任が検査とかで来たと思うんですが、大体何時くらいだったか覚えてます?」
その役職名を出すと、先ほどではないものの部長さんの眉が寄る。
「そうですねー、今日は早かったので、七時の十、から十五分、くらいだったと思いますよー」
「その時、機嫌とか体調悪そうにしてたとかありませんでしたか?」
「機嫌はー、いつもよりは控えめだった気がしますねー。風邪ひいてたっぽかったからだと思いますけど。風邪薬あげたら喜んでたしー」
「貴方の風邪薬を?」
「いえ、今朝友達に貰ったやつですー。市販品だし、より困ってる人に渡した方が良いかなーって」
また風邪の話が出る。ひとまず複数の証言が得られたので、生活指導主任が風邪か何かを患っていたことの信憑性は高くなった。
でも、ただの風邪では先輩のいう「殺人事件」には成り得ない。本当はもっと重い疾患だった、とかでない限りは。
「それはまた、いろいろ突っ込みたいですが。とりあえず、今生活指導主任がどこにいるか知ってます?」
「知らないですねー。あと、調子が悪いのは今日からとか言ってましたー」
「なるほど、助かります。ご協力感謝します」
「はーい」
張り付いたような笑顔で段々早口になっていく部長さんに頭を下げ、その場を後にする。
聴いている分には穏やかな口調かと思われるが、無言の威圧が結構なものだったためなかなか怖かった。それを一身に浴びて意に介さない先輩は凄いのか凄くないのか。
人気のない方の廊下の端まで颯爽と進んだ先輩は、どっかりと階段に腰を下ろし、大きなため息をつく。
わたしもそうしたい気分だったけれど、真似したみたいで負けた気がしそうなのでやめた。
「うーん、どう思う書記ちゃん」
「いまのところは、まだなんとも言えない、ってところでしょう」
「そっか……そうだよなあ。なんか聞き込みめんどくさくなってきた」
自分で言い出しておいてこのザマである。
序盤も序盤、たった二か所しか回っていないというのに。意欲が削がれるのが早すぎやしませんか。
「そんなものだと思いますけどね」
「えー、次行く? もうよくねー?」
「先輩が言い出したんですから、ほら立って。頑張ってください」
やる気を失った先輩を無理矢理動かす。自分でも何やってるかわからなくなってきた。
「じゃあ合唱にでも行くか……」
行先は音楽準備室で控えているだろう合唱部に決まる。音楽室の隣だし吹奏楽部の次でよかったのでは。やはり独断と偏見と勢いがなんたら。
独自の調査は始まったばかりなので当たり前といえば当たり前だけれど、ほとんど進展はない。
しかし、二人の部長さん方の反応を思い出すと、動機からは犯人の特定が困難だと感じられる。
わたしは関わりがほぼないのでわからないが、それだけ嫌悪されていれば、何がトリガーになるかわかったものではない。
嫌いだから暴力を振るう、腹が立つから危害を加える、不快だから邪魔をする。
目には見えない悪意が、今も、すぐそこに蠢いているかもしれない。