単色の言葉

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善かれと想って

4,517字 

 

 人が死にゆくとき、最後まで残るのは、聴覚、らしい。

 だから私は、いつも遺族に同じ言葉をかけることにしている。

「感謝を、伝えてあげてください」

 息を引き取っても、直後であればまだ意識はそこにある。貴方のその想いは、その人に届くのだ、と。

 ベッドから離れ、遺族達へ場所を譲る。

「お、お父ざん……」

 泣き崩れながら。死者の手を握りしめながら。遺された人々はそれぞれの別れの詩を紡ぐ。拙く、辿々しく。

 後のことは私の仕事ではない。踵を返し、嗚咽で満ちる病室を後にする。

 死に直面するとき、人は少なからず素直になれる、と私は思う。

 失って初めてその大切さに気付く、などはよく聞く話だし創作の分野では典型例だ。今まで反発していた子供達が親の死の間際に涙を流しながら謝ることも、理解し合ってこなかった夫婦が考えを伝えることも、よくあることで。

 馬鹿馬鹿しい。

 とても馬鹿馬鹿しい。

 そんな最期の最後まで正気になれないのは明らかにおかしい。それが大切なことだと分かっているならば尚更だ。

 意思の伝達がそんなに難しいことなのか。少し口を開くだけで済むことではないか。

 私達の手助けがなければ出てこない感謝など、所詮自己満足の範囲を抜け出さない。何十何百何千と聞いてきた私には、もう全てが空虚な風の音と同じに響いてしまう。

 だが、それで遺族が満足すればそれでいい。私達は何とも言えないが、死者が心安らかに天国へ旅立ったのだと信じてもらえれば、それでいい。病院側にクレームが来なければ十分。

 回診の時間だ。カルテを片手に携え、また静かな廊下を歩いていく。

「ほら泣き止みなさい。他の患者を不安にさせるでしょう」

「ゔぅ……っ、」

 叱られた子供みたいにぼろぼろ号泣する新人看護師にも、情けない以上の感情は湧かなくなった。数年前までは、そんなことではやっていけないぞ、とも思っていたはずだが、もうどうでもいい。

 毎年毎年、優に百万人は死んでいるのだ。そのうちのたった一人ずつに対する感慨など、とうの昔にどこかへ消え去った。

 そりゃあ、惜しまれないよりも惜しまれる死の方が良いとは思う。だが、その惜しむ惜しまないは飽くまで遺族が決めることに過ぎない。死にゆく者には関係ないこと。

 私が死ぬ時は、どうか安らかに、楽に逝きたいものだ。

 

 

 

「家族の方が来るまでなんとか保たせてください、とのことです」

 若い看護師は、病室に駆け込むなり私達にそう告げた。

「何分だ」

「早くて二時間だそうです」

 ふざけるな。

 暴言が口から出かかって、なんとか留める。いや、言ってもよかったか。

 無茶な注文だろうが、これも仕事だ。訴えられては困る、やることはなっておかねばならない。

「手が空いてる医師を呼んでおいてくれ。蘇生処置に入る」

「はい」

 電気ショックの準備を指示し、危篤状態に陥っている患者の服を脱がせる。痩せ細って骨が浮き出た弱々しい身体。これは、厳しくなりそうだ。

 既に心停止、なんとか生命を繋ぎとめておいたとしても意識は戻らない可能性が高い。

 それでも、今回のような、どうにか生かしておいてほしい、という要求は時折くる。自分たちが駆け付けるまでの時間を稼いでほしい、という旨の。

 マウスピース越しの人口呼吸、胸骨圧迫を始める。

「……っ」

 体重をかけて何回か押すと、割り箸を割るときのような乾いた音が幾度も響く。まだ、そんなに数はこなしていないが、この罪悪感には慣れない。

 老齢の患者に対して心臓マッサージを施すと、いとも簡単に、肋骨が折れる。骨は密度が低下し脆くなっているのだ、それはもう、呆気なく。

 折れた骨は肺やそこらに容赦なく突き刺さり、苦痛を与え、出血させる。

 もし意識があったならば、それは凄まじい痛み、地獄の苦しみであろうことは想像に難くない。やっているこちらの気分も悪くなる痛々しさだ。

「離れてください、電気ショック、流します」

 除細動器に依り人体が大きく跳ね、一時的に心臓が停止する。殺すためではない、行き返せるための一時的な措置。

 また、続けて心臓マッサージと人口呼吸を繰り返しているうちに、他の医師が交代に来る。

「代わるよ」

「お願いします」

 まだまだ若手のつもりだったが、思ったより体力は衰えているようだ。それでもある方だろうが。

 先輩が蘇生を試みている姿を見ていると、身体をぼろぼろにされながらも無理やりに生き還らされている患者を見ていると。私たちは一体、何のために頑張っているのだろうか、と、ふと虚しい気分になってしまう。

 誰が望んだのかというと、それは遺族たちだ。

 気持ちはわかる、彼らだって、この患者を直に看取りたいだけ、なのだろう。それは別に悪いことではない、普通の要望だ。

 だけど。

 ならば死期が近いこの人の側に、誰かしらが付いていてあげれば良かっただけの話ではないのか。前もって危険な状態であることは伝えてあるはずだ、だったらそれ相応の対応をしておくのが筋、ではないのか。

 自分たちは何もしないのに、自分たちがいいことだけ享受するのは、図々しいと思わないのだろうか。

 自分たちの勝手な都合で、尊厳ある死を冒涜していると、微塵も思わないのだろうか。

 俺ならば。俺なら、絶対にそんなことはしないし、してほしくはない。

 今度、妻と娘と話し合っておかなければ。

 

 

 どこからどこまでが「生きている」ことになるのだろう。

 息をしていなければ死んでいるのか。爪や髪が伸びなくなれば死んでいるのか。心臓が止まれば、もしくは瞳孔が開けば、それは死んでいることになるのだろうか。

 死を定義するには、まず生きているとはどのような状態であるか定義する必要がある。しかし意外か、その定義はきちんとなっておらず、つまり我々はまだ、生と死の境界を観測することが出来ていない。

 止めよう。最近は、歳をとったのか、余計なことを考えることが多くなっている。仕事に集中しなければ。

 扉を開け、物音のしない病室に足を踏み入れる。そこにはいつも通り、二人の人間がいた。

「先生……こんにちは。今日はいい天気ですねえ」

 ベッドの脇のスツールから立ち上がり、綺麗なお辞儀をする女性、と、ベッドの上で微動だにしない、男性。

 見飽きた配置、見慣れた角度。ここ数ヶ月、変わらない光景だ。

「……どうも。良い秋晴れ、ですね」

 男性は、ここに来てから、一度たりとも目を開けたことはない。

 自発呼吸は可能、血液循環も正常。覚醒の機能は保持されている、しかし、意識は戻らないまま。

 俗に言う、植物状態。大脳が死んでいる状態、とも言い換えられる。

 回復する可能性はあるが、意識が失われている期間が長引けば長引くほど、それも低くなっていく。この患者であれば、自立して生活出来るまで治る確率はもう、十もあるかどうか。

「…………」

 容体にも、沈黙に包まれるこの病室も、ずいぶん前からずっと、変わらない。

 女性は、面会時間のほとんどをここに座って過ごしている。男性が目を覚ますのをひたすらに、待っている。

 彼は、医学的には、生きている。日本では大脳のみならず小脳と脳幹全てが死ななければ、脳死とはみなされないからだ。

 しかし、彼は本当に、生きていると、言えるのだろうか。

 意思のままに身体を動かすことも、自ら口を開き言葉を紡ぐことも、能動的に外界の刺激を享受することも出来ない彼は、果たして、人間として生きているのだと、言えるのだろうか。

 俺は、いや、私には、わからない。

 いくら生命を永らえさせたとしても、本人にはその自覚も、実感も無い。そこにあるのは生物学的に生存している肉体だけ。

 そしてそれを望んだのはこの女性だ。

 彼女は毎日ここに通い詰め、段々と、正気を失っていっている様にも感じる。それはそうだ、治る見込みも薄い人間の病状を一日中ずっと慮っていれば、気だって滅入る。疲れだってする。

 では一体、彼女は、誰を想ってその選択をしたのだろう。何を考えて、恐らく誰も幸せにならないその判断を下したのだろう。

 私とてそれなりに歳を重ねてきた、こんな場合も、幾度も遭遇した。

 決して、わからないわけでは、ない、はずだ。その気持ちを推し量ることは、不可能ではないはず、だけれども。

 やはり、私には、わからない。

 

 

 

 

 とても長い、しかしとても短い、夢を見ていた気がする。

 目が覚めた感覚はする。思考は出来る。だが視界は開けない。身体は動かない。意識だけが中空に漂っているような、不思議な気分。

 ゆっくりと、夢を見る前の記憶が、掘り起こされていく。ぼんやりとしていた頭が、徐々に冴えていく。

 どうやら、私は寿命を迎えるところだった、と、思う。最後は仕事をしていた覚えがあるので、脳梗塞脳出血やらで倒れたのだろう。いや、こうして意識が戻ったのだ、一先ず原因はいい。

 だとすると先程の夢は走馬灯か。そして、何らかの理由でこうしてまた意識を取り戻した、と考えるのが妥当なところ、だが。

 色々なことを思い出していくに連れ、頭部に、胸部に、腹部に、全身に、痛みが生じていく。それはじわじわと広がり、私のあらゆる部位を苛んでくる。

 多少痛みには強い方だと思っていたものの、次第に大きくなる疼痛は今までに体験したことがないほどに激烈で、とてもではないが耐えられる代物ではない。無意識に、勝手に身体は捻れ、口は呻き声を発しようとする、いや、した。

 しかし、声は上げられず、指の末端に至るまで何一つ随意に動かせない。刺激に対して、何の反応も返すことが出来ない。

 これは。

「父は、父は助かるんですか⁉︎」

 突然聴覚が回復し、娘らしき人物の、聞きなれない悲鳴のような声が感じ取れた。

 次いで機器が稼働する音、二、三の人が駆け回る足音。誰か、私に気付いてはくれないものか。そこに居るのは私の後輩であろう、早く診断を。

「……取り敢えず生きてはいる、というところです。なんとか蘇生には成功しましたが、ここからは良くてこのまま、植物状態、でしょう」

 何を、言っているんだ。

 遷延性意識障害とは違う、私は自分自身や周囲を認識出来ている。どういうことだ。私の意識が戻る前に判別をしてしまったというのか。

 これは閉じ込め症候群、違う、眼球ですら随意に動かせない。完全閉じ込め症候群、だ。意識があるにも関わらず、誰にもそのことが認知されず、気が狂うような虚無に囚われるという、悪夢のような症例だ。

 どうすればいい。どうすれば、私は意識があると伝えることが出来る。どうすれば、強くなっていくこの地獄のような痛みから解放してくれる。

 いや、生き延びることを考えなくても良い。このまま死なせてくれても、私は楽になれる。そして私はその旨を家族には既に伝えて「植物状態、でも」ある、はず、だけれども。

「良いんですか?   自力で生きられなくなったら殺してくれと伝えてあると聞いてますが」

 そう、そのはずだ。

「……はい」

 まさか。

   話し合っただろう。止めて欲しいと言っておいただろう。

   この苦しみから解き放ってくれ。

   これ以上は。

   頼むから、止めてくれ――

 

 

 

「父を、生かしてください」